サッカーライフin Mzk74’s diary

サッカーと共に生きる

悲しきお父さんサッカーコーチの物語

サッカー少年の宿命!?

初めての出産を親元で迎えようと帰省していた妻に会いに週末の連休を利用して二人が出会った地に戻った夫に合わせるかのように陣痛が始まりました。

夫は会社に連絡して出産に立ち会うために休暇をもらい、妻を病院まで届けた後に義親と可って分からない出産の準備をして医院に戻りますが、すぐに生まれる気配はなく義母と交代で休息を取る事になりました。

義父ときちっと用意されていた夕食を共にした後、そろそろだとの連絡を受けて医院着後に案内されたのは分娩準備室だったと記憶しています。

慣れた助産師さんは「やさしくさすってあげてくださいね」と言いながら部屋を出て行ってしまいますが、深夜過ぎても生まれる気配が無く義母と交代で休憩が必要な状況でした。

分娩室への立ち会いは否定していた妻が、窓の外が明るくなり始めたころに分娩室への移動を促されます。

初めての出産と長時間の陣痛により隣の分娩室に移る気力は残っておらず、準備室での出産となりました。

分娩台の代わりを命じられた夫は妻がいきめるように背中側に自身の体で壁を創り、生まれた瞬間を妻の背中越しに迎えます。

妻のいきみを自身の体で受け止めた感情と体力的な負担、初めて我が子が生まれた感動で興奮状態のお父さんは結婚する前にプレーしていたチームメートに連絡して出産直後の妻を置いて以前に所属していたチームの午前のトレーニングに参加したのでした。

日本で開催されたワールドカップと同じ年に生まれた長男0歳の誕生日プレゼントはワールドカップで使用される1号球レプリカで、寝ている赤ちゃんの左足にボールを置いた記念の写真がアルバムにつづられることになります。

mizuka74.hatenablog.com

サッカーは好きだけど仕事が好きではないお父さん

婚約を機に仕事を最優先に考えた夫は紆余曲折を経て地元の企業に就職してサッカーとは離れた生活を送っていましたが長男誕生をきっかけにプレーを再開します。

若かれし頃に同じ境遇で戦っていた地元が近い先輩に連絡して帰国後には2度目となるチームメートとして新たなサッカーとの関わりがスタートしました。

再びサッカーに関る事になったお父さんは住み慣れない土地で暮らす妻と長男を置いて週末は試合に出る回数が増え、妻の不安には気付かないまま時間が流れていきます。

長男の1歳の誕生日に夫の地元から妻の故郷に引っ越しを決断した一家は夫婦が出会った土地で新しい生活が始まりました。

就職が決まっていない状況でもどってきた地では以前のチームメートと連絡を取る事でサッカー先行での生活になっていきます。

夢を諦らめずに最後のチャンスに賭けて未知の地でのチャレンジによって得た実績からか年老いた選手でも再び歓迎されますが、肝心の定職は見つけられませんでした。

家族が4人となりアパート暮らしになっても安定した仕事を見つけられない時期に同級生からの誘いで愛息子はサッカーチームに入りたいと母親に伝えました。

サッカーにしか興味が無い夫の不安定な収入を賄うためにパート勤めしていた親には余裕が無く息子の願いは叶いませんでした。

再び同級生の影響でサッカーがしたいと勇気をもって伝えた少年の想いと、父親がやっと安定した仕事に就けたタイミングが重なり望みが実現します。

mizuka74.hatenablog.com

同級生の影響でサッカーを始めた少年

同級生が所属していた少年団は創世期に少年の父親がコーチを務め、命名をしたチームであり、父親の知人が代表者なので少年の入団とセットでお父さんコーチが誕生します。

安定した職場の仕事をきっかけに誘われたフットサルで代役を務めた選手兼任の監督に突かれ果てていたお父さんは息子のサッカーデビューと同時に再び指導者としての挑戦が始まりました。

時を同じくして息子と同じ学校に通う少年団選手の父親が選手時代の監督を務めた人物と発覚し、知人である代表者との関係を悪化させて自身でサッカースクールを立ち上げました。

友達と一緒に楽しくサッカーをしたい少年、唯一自信があるサッカーを通じて息子と少年達の成長に希望を見出した父親にとっては複雑すぎる人間の感情に振り回されるきっかけともなりました。

中学生頃までは独学でもサッカーを学ぶために書籍から情報を得ていたものの、本場の環境に身を置いて以降は自身の感覚を信じてプレーを続けてきた父親はコーチとなり、再び参考書を読み漁り自身のコーチングを確立しようと試みます。

指導者とは実力でねじ伏せる存在だと思っていた選手時代とは大きく異なり、書籍やネットで得る指導知識は選手の能力を引き出す価値ある能力だと知らしめられました。

少年団のコーチを務める父親に少年団と対立する元監督本人が小学校の校庭で自身の息子と同じ少年団の子供達にコーチするので我が息子も一緒に参加する誘いを受け、本人と母親とも相談した上で参加させてもらう事になりました。

週末は少年団でコーチを務め、ウィークディは仕事を早く切り上げて元監督がコーチを務めている小学校の校庭でスクール生のお父さんとしてゲームに参加する日常が続きます。

サッカーを始めたばかりの少年は道具を買いに行ったスポーツ店で出会った人には「お父さんみたいに頑張って上手になってね」と応援され、チームでは父親がコーチを務める優越感を当時は心地よく感じていたかもしれません。

少年団とサッカースクールの両方に関る父親と少年は当初は歓迎された存在でしたが、サッカーを中心に考える父親の行動が影響して二人は次第に周囲から敬遠される存在になります。

息子と少年達、その家族がサッカーを通じて豊かな人生を歩み、幸せになってもらいたいと始めたコーチなのに、自身の存在がある事によって逆の状況に追いやってしまったお父さんコーチは少年団に別れを告げる覚悟を息子に伝えました。

mizuka74.hatenablog.com

少年団ではご法度な移籍

父親がコーチを務め、努力と頑張りによってチームの中心的な存在になっていた少年が移籍を決断するのは少なからず、父親の強制的な力が働いたのは間違いないでしょう。

同学年でスクールに数名の選手が通う少年団と現チームの代表が知り合いなのを知っていた父親は切が良い時期までコーチを務める事を約束して息子を別の少年団に紹介する事を代表にお願いしました。

所属する選手を所有物だと考える組織と我が子を愛する親の競技面とは違った感情が合いまった異常な環境の中で下した父親の判断が後となって少年の将来を大きく変える最初の出来事だったのかもしれません。

mizuka74.hatenablog.com

サッカー少年とお父さんコーチ

5年生直前でレベルが上がったチームに移籍した少年はスクールの同級生を尻目に試合ではベンチからのスタートが基本になりました。

移籍直後のカップ戦では前所属で父親がまだコーチを務めているチームとの試合に途中出場からゴールを決めるなど、持ち前の芯の強さで徐々にチーム内で認められる存在へとなります。

息子もいざこざに巻きもまれて酷い扱いを受ける事もありましたが、任期を終えて少年団のコーチを辞めた父親は手のひらを返したような知人の誘いにのってスクールのコーチを務める事になり、再びサッカー少年とお父さんコーチの関係が継続されることになります。

息子と友達を学校の校庭でサッカーを教える名目でスタートした元監督でスクールを立ち上げた代表者は息子が所属するジュニアユースのコーチも務めるようになり選手や保護者への影響力を強める事に成功します。

サッカースクールの活動には母親もでも関係する事になり、少年の生活はサッカー中心で活動日が多くお父さんコーチが指導を行うスクールの考え方に影響を受けてジュニアユースはスクール代表がコーチを兼任しているクラブへ入団しました。

お父さんコーチはサッカーを通じて幸せを掴みとって欲しい思いでコーチングを行っていた為、代表者とは知人でありながらも意見の相違があり、お互いに認める間柄だと認識していましたが、選手の能力や親の権力を上手く使って周囲をコントロールしようとの意思が強く、純粋なサッカーの実力以外で利用される頻度が高くなっていったと感じます。

少年は同学年でも背が低い割には筋肉質な体形でしたが、秀でたフィジカルは有しておらず戦術的なインテリジェンスと独特のプレーで変化を創るのが特徴でしたが中学1年生の後半かは2年生のチームに帯同する事になりました。

f:id:MiZuKa74:20220211105931j:plain

人数も多く能力が高い選手が多い中で1年生をわざわざ上の学年に帯同させるのはコーチと父親のエゴだと両方の学年の関係が思う中で少年は黙々とプレーするしか選択肢が有りませんでした。

少年はひがまれるような人間性ではありませんでしたが、競争を伴うサッカーの現場では本人の意思とは裏腹に厳しい目にさらされる様になっていたのは否めないでしょう。

それでも最終的には学年で唯一のトレセンに選ばれるなど本人の努力が目に見える形で現れる事も周囲の人達の感情にはマイナスに働いていた可能性もあったでしょう。

mizuka74.hatenablog.com

最初で最後の息子との大冒険

お父さんコーチはスクールでの指導を続けながら息子の進学先を模索していました。

本人の意思を尊重しながらも精一杯のサポートをしようと先回りして情報を与えて、テクニックに拘る全国的に有名な高校の練習参加や夏休みには毎年数人をトップチームに昇格させるJチームのユースへの参加、一般募集のJユースのセレクションに帯同しました。

おそらく本人よりもドキドキしながら見守った息子の姿に様々な感情を抱きながらも回数を経るたびに成長する姿を見守り、心の底から応援しました。

父親の予想を上回るプレーを魅せた少年でしたが望んだチームから声がかかる事無く地元の高校にサッカーとは別枠の学校推薦で進学する事が決まりました。

mizuka74.hatenablog.com

自分と息子は大丈夫だと空回りをしていたお父さんコーチの結末

自身の経験をもとに息子のサッカー人生をいつも先回りして誘導してきた父親も高校のサッカー部に入った後は見守るしか方法が有りませんでした。

地元では少々名が知れた少年は中学時代と同様に入学後、ほどなくしてトップチームに帯同することになります。

時間が許す限り息子のプレーを観に行っていた父親とは逆に周囲からの容赦ないプレッシャーに押しつぶされて苦しむ息子はプレーする喜びを忘れて苦しみだけを味わうようになっていたようです。

1年生の夏には自らセカンドチームでの練習を監督に申し入れて、冬にはサッカー部を辞めたいと聞いた父親はこの時に初めて息子をサポートするどころか苦しめる存在だったことに気付かされました。

サッカーを始めた頃から常に自分が楽しむ事よりも上手になる事を要求する父親に本心を伝える事ができずに苦しんできた息子の限界を父親が創ってしまっていたのです。

全ての情熱を賭けたサッカーへの経験を還元すれば自分の息子は必ずサッカーで成功すると思い込んでいたお父さんコーチの全てを否定されるような出来事でした。

進学や就職に良い影響を及ぼさないとの説得を親から受けた息子はサッカー部に留まり、上級生が引退した後の新人戦では、彼らしいプレーで両親に感動を与えてくれましたが、以後はチーム事情も影響したのかベストメンバーでのゲームでピッチに立つ姿を見る事が無く選手権でもメンバー外となり少年のサッカー人生は終わりを迎えてしまったようです。

息子とサッカーを愛するがあまりに盲目になってしまったお父さんコーチの指導者生活も終焉を迎えて平穏な生活を過ごしていた数年後に次男がサッカーを始める事になりました。

愛息子を苦しめていた事実を実感している父親は次男とサッカーに希望を感じながらも複雑な心境で見守る事しかできないのが現状です。

mizuka74.hatenablog.com