サッカーライフin Mzk74’s diary

サッカーと共に生きる

愛しきサッカー少年の物語

同級生の影響を受けてサッカーを始める

少年がサッカーの影響を受けるのは生まれる前からの宿命だったのかもしれません。

北国の故郷に帰省し、初めて経験する出産に不安と希望が入り交じった複雑な心理状態で産科医院に入院した母親にとって、今では大切な思い出となっていることでしょう。

少年が初めてサッカーに興味を持ったのは小学校入学後に近所の同級生がサッカーチームに所属していたのがきっかけだったと思われます。

少年は母親に同級生が通うサッカーチームに入団したいと相談しましたが、共働きの両親は妹と少年を育てるのに精一杯で希望は実現しませんでした。

少年が1歳の誕生日に母親の故郷に引っ越してきたものの、安定した仕事に就けずにいた父親もやっと落ち着いて生活できる見通しがたった頃、再び前途の同級生と同じチームでサッカーをしたいと勇気を持って伝えた事が少年のサッカーへの第一歩となります。

お父さんコーチと少年

同級生が所属していた少年団はサッカー好きな父親が知人に頼まれてチーム立ち上げ当初にコーチを務め、命名したチームでした。

少年の入団はすぐに決まりましたが、当然のように父親もコーチの依頼を受けて、後の物語に大きく影響するとは誰も予想していなかったのではないかと思われます。

元々、運動神経が良かった少年は拘りの強いお父さんに促されて左足でのボールコントロールをトレーニングしながらメンタル面でも芯の強さを発揮し、才能あふれるエースと並んで中心的選手に成長しますが、采配をするのが父親コーチなので周囲の複雑な感情に影響を受け始めました。

自宅の近所に小学校と中学校がある恵まれた環境はサッカーでも好条件で、父親の知人が運営するサッカースクールが目の前の小学校で開設されて少年はサッカー漬けの生活を送るようになり、母親も息子の為に一生懸命にサポートする環境が出来上がります。

自身がサッカーを始めたのと同時にチームのコーチが父親だった優越感は少年のモチベーションを一時的に上げましたが、保護者の感情やチーム運営事情、スクール活動などを巡り選手達を差し置いた大人の感情が大きくなり、結果として子供たちの才能を開花させるまでには至らない環境だったのかもしれません。

少年団ではご法度な移籍

希少価値が高い左足でのプレーと強い気持ちで中心選手に成長した少年でしたが、コーチである父親が知人である少年団の代表や選手の保護者との関係に耐え切れず、複数人の選手がスクールに参加していた縁を利用して別の少年団に移籍することになりました。

新たに入団したチームはレベルが上がり、少年は弱気な側面を見せましたが、スクール生とは別の新しい仲間と親しくなることを機に徐々に能力を発揮させてトレーニングセンターの選考会でも評価されるまで成長しました。

入団する前にサッカースクールつながりでトレーニングマッチをした時には歯が立たなかった新チームでも主力であるスクール生のライバル達とは違った個性でプレーする少年は、入団当初は懐疑的なコーチ陣にも認められる選手へと成長して行きます。

この頃になると父親の存在が少年への偏見や過剰な期待感を伴ってサッカーをプレーする喜びは結果ばかりに偏り、プレッシャーがプレーする喜びを上回る環境で試合をする状態だったと想像できます。

才能と努力

トレセンに選ばれる事で誇らしいと感じた少年と、更なるレベルアップを望む父親との温度差は少年へのプレッシャーを強める一方、プレーする喜びを奪い始めたいたのでしょう。

トレセンでプレーする選手達のレベルに劣等感を抱いた少年は選ばれた選手達のような野心を持ち合わせてはおらずに不安感に苛まれていたと思います。

土俵がサッカーである限り自身の感覚を伝え難い父親はスクールでもコーチを務めるようになっていて本心を打ち明けられる存在ではありませんでしたが、少年が過ごした時間と努力は少しずつ実り、5年生で始めて選ばれたトレセンでは少年団を卒業する頃には地域で存在感を増すまでに成長していたと思います。

中学生時代

サッカー主体の生活が当たり前になった少年はスクール時代の紹介がきっかけで通っていたジュニアユースチームに入部します。

父親の影響が悪く作用した雰囲気でも、少年は小学4年生頃からお世話になったクラブチームを選び、持ち前の芯の強さを発揮して少年団時代と同様にチーム内で認められる存在になりますが、父親と関係が深いコーチにより飛び級で一学年上のチームに合流することになりました。

おそらく少年はプロサッカー選手になりたい願望は持ち合わせていたと思いますが、プレーを楽しむ事が難しくなり始めていた頃だと感じます。

父親がコーチを務めるスクールの代表者が所属クラブでも担当コーチとなり、歳上の年代のチームに抜擢され、周りの批判を受けながら試合にスタメン出場する少年は父親も含めた大人の事情に利用される存在だと感じていたとしても不思議ではありません。

一つ上の世代での活動を終えて、同世代に帯同しても、競争心が強い選手達からは主役の座を奪われる存在であり、歓迎されているとは限りませんでした。

一学年上の世代は他チームのレベルの高く、全国大会への道は途絶えましたが、少年が自分の代で奮闘した3年生でも結果を残すには至りませんでした。

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父親と最初で最後の冒険

両親の遺伝子を受け継いだ少年は小柄で筋肉質な体形、瞬発力が有り持久力も平均以上だったと思いますがメンタルで補っていたとも分析できます。

右利きと思われる少年は、父親の拘りにより強制された左足でのボールタッチに特徴を持つようになりドリブルとパスで個性を発揮するリオネル・メッシに似たプレースタイルの選手になりました。

サッカーを始めた当初は敏捷性とシュート感覚が特徴でしたが、公式戦に出場する頃にはサイドではドリブル突破、中央ではポジショニングと運動量、推進力を活かす中盤で起用される選手に進化していきます。

多くのスクール生と同じくジュニアユースのクラブを選んだ少年は努力が実り始め、フィジカル面ではだいぶ劣るにもかかわらず一学年上のチームで活動するようになりました。

この時期でもスクールコーチと兼任していた父親の知人コーチが担当だった為に選手だけでなく周りの人達から偏見の目で見られる境遇に至ります。

一学年の差は大きく中心選手には至らず、自身が最高学年になった時には同学年の選手からのライバル心と自己中心的な考えを感じ取った少年は言葉ではなくプレーで意思を伝えるようになり、チームのバランスを考えたポジショニングで献身的にプレーしていました。

足首のケガを推して出場した最後の大会で結果を残すには至りませんでしたが、テクニック主体の育成で全国的に有名な高校や毎年数名の選手をトップ昇格させている育成の名門Jユースの練習参加、一般応募のJユースセレクションなど父親と一緒に1000kmをゆうに超える旅を経験して中学生最後の夏を過ごしました。

情熱の終焉

理想の環境に進学することは叶いませんでしたが、トレセンのコーチが監督を務める高校からの誘いや、学校を通じた推薦入学の話を頂き進路を決める時が迫ります。

チームメートの動向や両親の進言を考慮して少年はサッカーではなく中学校の一般推薦を受けて県内ではベスト4に入るが全校大会には出場経験が無い高校への進学を決まました。

サッカー以外でも遠方から選手を受け入れて寮生として親元を離れ頑張る選手達が多い環境でも、県内では少し名が知れた選手となっていた少年は入部早々からトップチームに帯同する事になります。

フィジカル勝負の色が強い高校サッカーで少年は身体能力で劣り、自身のプレーが通用しない劣等感が増し、野心的な先輩たちと交友する事も出来ずに部活動が苦痛になってしまいます。

思春期の多感な時期に大きな壁にぶつかった少年の心はついに燃え尽きプレッシャーに耐えることはできませんでした。

それでも両親の説得により退部を留まり、先輩方が引退した後の新人戦では出色のプレーでチームを牽引します。

才能ある年下の選手が加わっても最終学年の少年のプレーは中心選手として活躍するに値すると思われましたが、一度失った情熱に再び火が着くことはなく人間関係の煩わしさが上回った少年はトップチームでプレーする事を望まなくなり、入学前に志していた高校サッカー選手権のメンバーのも登録されずに物語の終焉を迎えました。

父親の影響を多大に受けたサッカー少年が今後は自身の力で新たな道で幸せになる事を祈っています。

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