サッカーライフin Mzk74’s diary

サッカーと共に生きる

あの選手は今~青年オーナー~

私がプロのサッカー選手を目指して外国で生活をしていた時のことを少しお話したいと思います。

 

最終的には色々なチームを渡り歩きましたが、一番在籍期間が長かった(役2年半)クラブでの事です。

 

現地に着いてから3つ目のクラブにはすでに1人の日本人選手(私と同じ飛行機で成田を旅立った同学年の選手)が在籍していました。

奇しくも成田空港から同じ飛行機で旅立った選手のなかで、もっとも期待が高いエリートの同学年選手(のちのJリーガー)と一緒に移籍(彼は期限付き)したので、同期の同学年3選手が再会したことになります。

3人の日本人に割り当てられた部屋は四畳半ほどの大きさでベットを三つ置いたら中央にスペースが少しある位の大きさです。

豪雨の時には屋根から侵入した雨水がベットの上に容赦なく滴り落ちてきて眠れなかったことも、今では思いで話の一つです。

当時はサッカーの海外留学が流行っていたのか、短期の留学生(そのうちの一人は現在シニアのチームメイト)を含めると結構な人がクラブに訪れました。

1年ほどたって私が一番の古株になってから入ってきた日本人選手で3人(そのうちの2人は後に紹介する予定)ほどは長く一緒の時間を過ごしました。

寮から練習場まで歩いて30分程かかり午前、午後の練習で一日2往復は慣れても大変でした。

寮にはチームの食堂も兼ね備えていたので昼食を食堂で食べるプロ選手などの車に便乗させて貰える事も稀にありましたが、全員は乗れないので自分以外の人が乗せてもらうのを見るのは結構つらい事でもありました。

サッカー以外の時間は自由(門限は有ります)なので夕食後(食堂のおばちゃんは早く帰宅したいので、遅くまでは待ってくれないのです)に小腹が減ってハンバーガーを食べに行ったりもしました。

 

 

悲しいことに長い間一つ屋根の下で何人かが一緒に生活をしていると、派閥みたいなものが出来てしまい選手同士で関係がギクシャクしてしまうのも日常茶飯事でした。

 

そんななか1つ年上で同県出身の先輩とはよく馬が合いました。

日本に帰国した後も他県在住の友人のもとへサッカーをするのに一緒に連れて行ってもらったり、友人(後ほど紹介したい人物)の結婚パーティーに一緒に参加させて貰ったりしていました。

 

本人の結婚式にも呼んでもらい、楽しい時間を過ごさせてもらった事も大切な思い出です。

 

※先輩の結婚前に友人の結婚パーティに出席した後、翌日に先輩のサッカーチームの練習試合に参加させてもらうために急遽、先輩の家に泊めてもらう事になりました。が、彼女(現在の奥さん)との約束があったんだったと思います。、私はおそらく悪者で結婚式の当日もお嫁さんの視線が冷たく感じたのは気のせいではなかったと思われます。

 

そんなイケメン(昔から女性に人気があった)先輩がいつの間にかレストランのオーナー(多分)シェフになっていたのです。

しかも、予約がなかなか取れない地元では超有名店だと、サッカーとは全然関係ない仕事関連の人から噂を聞きました。

 

私も結婚して嫁さんを乗せてドライブに出かけた時、思い付きでいきなり先輩のレストランに立ち寄りました。(火曜サプライズのアポなし訪問みたいな感じでドキドキしました)

偶然にも先輩はお店に居て予約で席はいっぱいなのに私たちにテーブルを工面してくれて料理もごちそうして頂きました。

※そうとう美味しかったのでしょう、今でも嫁さんからはまた連れて行けとせがまれています。

 

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ちなみにイケメン先輩がFacebook Logo (2019).svgの存在を教えてくれて、パソコンを購入して、現在に至っています。

 

勝手に載せて怒られるかもしれませんが、気が付いたら連絡下さい!!