サッカーライフin Mzk74’s diary

サッカーと共に生きる

サッカーを愛する人々へ~平和あっての歓喜~

ロシア軍によるウクライナへの攻撃が始まりました。 なぜ?

フットボールにはルールが尊重され、秩序が確保される事により世界中に愛される文化となりました。

フットボールの始まる起源は現状社会の戦争にも似たプライドや地区の損益に関るイベントだったかもしれませんが、世界中の人々に感動と喜びを伝えるようになったのはFIFAを始めとした世界的な共通ルールが確立された重要な要因だと思います。

ナショナリズム、個人能力による圧倒的なカリスマ、戦術的戦略のチームビルディング、環境、資源、文化、哲学、歴史、教育、努力、創意、挑戦など人類が歩んで来た歴史を反映するかのようにスポーツが職業になり経済的のも大きな存在となったサッカーは平和の元に成り立っています。

 

 

人が存在してこその国家でありフットボールであると考えると和平を伴う想像力こそが人々の最大の可能性を引き出し、発展が期待できる環境だと学んできました。

コロナウイルスと人類が対峙している現状にも関わらずに自身や自国の損益だけに焦点を当てたロシア軍の行動に心を痛めている人々がどれほど多く、実際に命を失った人よりも大きな価値は存在しないでしょう。

私にとって大切な存在があるからこそサッカーを愛する事が可能であり、家族や仲間の存在と統制されて安定した環境は文化を育むためには必要な要素だと思います。

2002年W杯優勝メンバーのサッカー元ブラジル代表 エジミウソン氏主催のパーティーに参加してきました | 在日本大韓蹴球協会 | KFAJ

文化と情報が豊富になった現在の社会では一人が勝者になる社会的な構図は崩壊して、勝負の世界であるスポーツがレクリエーションを含めたゲームとして各国でプロ化が進んできた要因だと思います。

ジェンダーレス化に伴いスポーツは現状以上に社会的に成長する可能性が高いと思いますが平和と秩序が限定意であるスポーツの世界で一方的な要素でる武力が優勢を発揮する戦争は正反対の思考を持った人たちの考えだと感じます。

作物も含めて資源を元に成り立つ人間社会では自然へ大きな代償を負担させてきた歴史を改善しようと人類が取り組むべき課題が目の前に存在するのに共存すべく隣人を一方的な圧力で征服する行為は正当化される理由が見つけられません。

 

歴史的なGKレフ・ヤシン、86ワールドカップで存在を知らしめたFWベラノフなどの有能な選手を輩出して旧ソビエト連邦時代と現ウクライナディナモ・キエフは世界でも有数なクラブであり、トタルフットボールとして伝説となったアヤックス・アムステルダム、オランダ代表の次世代に登場したチームだと評価されました。

2002日韓ワールドカップで対戦したチームの主力選手だったモスト・ボイやカルピンは戦争を望んでいるのでしょうか?

 

ACミランで活躍した世界的な選手であるシェフチェンコ、現在マンチェスターCで活躍するジェシチェンコはウクライナ代表です。

ファン・バステン、フランク・ラーカールト、ルート・フリットクーマン兄弟、ふぇねルブルクを擁して88‘ヨーロッパ選手権を制したオランダと対戦したソビエト連邦ウクライナの名門ディネモ・キエフの監督と選手が中心だった記憶しています。

 

友達の友達はみんなトモダチと考えると、しがないサッカー好きなオジサンの友達のトモダチはリオネル・メッシになります。

今では友達と繋がっている訳でもないオジサンが僭越ですが私の周りにいる人たちは殺し合う人類を望んでいません。

政治的駆け引きは国家間の優越に繋がる大きな要素かもしれませんが一線を越えてしまっては秩序を乱す世界を巻き込んだ自滅行為だとも考えられます。

地球環境、宇宙への進出が人類の大きな分岐点と予想される現状で子供達とその子孫が少しでも幸福であって欲しいと願う人間の本性が圧力でねじ伏せられる環境がまた起こるのでしょうか?

 

我々サッカーを愛する人間の望みは世界中の人々が平穏な社会の中で余暇でもあるフットボールが生活に寄り添っている環境だと思います。

生きる為に苦しい状況に陥った家族にも、裕福な家庭に生まれ何不自由なく育った少年もフットボールは平等性が担保された希望の世界であり続ける必要があると思っています。

今こそサッカーの歴史と力を発揮して人類が構築してきた秩序の必要性を訴えるべきではないかと感じています。

ロシア共和国、中華人民共和国、朝鮮民主的人民共和国は共和が成り立っての国家ではないのでしょうか?

我々サッカーを愛し、家族や人類への愛情を感じる人間が自身と隣人を不幸にしない為にも戦争反対のメッセージを微力ながら発信されて頂きました。