サッカーライフin Mzk74’s diary

サッカーと共に生きる

ディエゴ・アルマンド・マラドーナ<前編>

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マラドーナ 1986メキシコ・ワールドカップ優勝

私が生まれ育った地域は野球が盛んで、町会ごとに少年野球のチームが存在していました。

父は幼少期には野球を、高校時代はテニス部に所属していたようですが、私が物心つく時期には会社の野球部で選手兼監督を務めていたと記憶します。

日曜日に父の野球の試合に連れて行ってもらう事が、幼い私にとっては幸せな時間でした。

そんな私が将来プロ野球選手になる事が夢だったのは自然な流れでしょう。

ある日、小学校の体育の授業でラインサッカーと言われる競技をしました。

サッカーとドッチボールを合わせて考案された体育のメニューだったんだと思います。

運動神経と負けず嫌いだけが取り柄だったと思われる私は、ボールを思いっきり蹴飛ばして強く速いボールを蹴る事と、体を張って相手のシュートをブロックする事でラインサッカーを楽しんでいました。

ボールを足で蹴る事を経験した1年後くらいだったでしょうか?テレビで「キャプテン翼」が放送されて大人気になり、私の周りの友達がサッカーで遊ぶのが大流行したのがきっかけでボールを蹴るスポーツが冬季を中心に日本でも行われている事をしるようになりました。

新しく創設された小学校のクラブ活動のサッカークラブは大人気で、人数の割合を調整する為に翌年以降にもクラブ活動を経験できる4年生は入部できない状況だったのを覚えています。

病で父親を失った私たち家族は引っ越しをする事になり、自分では他人事と思っていた転校生として新しい小学校に転校しました。

友達がサッカーをして遊んでいたので一緒に遊ぶ為にサッカーをしていた私はプロ野球選手になる夢は継続させていて本心は野球がしたいと思っていました。

新しい小学校にも野球クラブは存在しませんでしたが、サッカークラブには普通に入る事が可能で新人の4年生は参加する必要が無い朝練にも張り切って出席してサッカーで遊ぶことも私の中で日常になりつつありました。

新たに生活する地域は比較的サッカーが盛んな地域ですぐ近くの隣小学校のグランドで練習するサッカー少年団が存在していました。

もちろん私の小学校にも少年団でサッカーをする子供達がけっこういて、私も入団を希望しましたが平日の練習はコーチではなく自主練習で保護者が当番制で練習に立ち会うルールが有り、母子家庭の母は日中は一生懸命に働いてくれているので、サッカーの練習に立ち会うことは不可能で入団を断念、私はチームに所属することなく放課後は毎日ボールを持って学校の校庭にサッカーをしに遊びに行く生活が始まったのです。

小学6年生になった頃、同じ小学校の5年生に地元の少年団ではなく、別のサッカーチームに入部している事を知り、情報では月謝を支払う必要があるが保護者の立ち会いなどは無いことを聞き母親にお願いしたところ、隣駅前のグランドで練習するチームに自転車で一緒に見学に行き入部させてもらう事が出来ました。

私は子供だったのでよく分かっていませんでしたが所属するようになったクラブチームは当時としてはクラブとしての組織はトップクラスで全カテゴリーにチームが存在していてトップチームは日本リーグに所属していて後にJリーグへ参入した立派なクラブだったことには、だいぶ時間が経ってから気付かされました。

6年生の夏休み直前に初めてサッカーチームに所属して私の人生はこの時から極端にサッカー中心の生活に豹変し始めます。

プロのコーチがいて、遠方から電車に乗って練習に通いに来る選手達は私の知らないサッカーの情報をいっぱい持っていて私はどんどんサッカーに引き込まれるように夢中になって行きました。

私が小学6年生で人生初のサッカークラブに所属したのは1986年の7月だったと思います。

夏休みの遠征にさっそく参加した私の耳に今までは聞いた事のない言葉が頻繁に入ってきました。

ワールドカップマラドーナ、アルゼンチン、西ドイツ、フランス、プラティニ、ブラジルといった今では良く知る単語を耳にして興味を魅かれて、それまで遊びでしかなかったサッカーが、チームメイトやコーチから世界のサッカー情報を聞き、私はサッカー情報誌を購入して隅々まで熱心に読むことで、頭の中のイメージはどんどん膨らんでいって将来はサッカー選手になる事が夢になったのは必然の環境だったと思います。

ワールドカップの情報を知ったのは1986年メキシコ大会の直後で雑誌媒体での情報しかなく私が人生で初めて購入したサッカー雑誌は「サッカーダジェスト」で表紙は南米選抜vsユーロッパ選抜のチャリティーマッチでプレーするロメリート(パラグアイ代表・フルミネンセ/ブラジル所属)だったと記憶しています。

一か月前に情報を知っていたら私はワールドカップを楽しみ、マラドーナが表紙の雑誌を購入していたと思いますが、タイムリーで知ることが出来なかったことが余計に私の好奇心を刺激したのでしょう、どんどん世界のサッカーに興味を魅かれてサッカー人生を暴走する運命だったのかもしれません。

1986メキシコ・ワールドカップ

紙媒体でしか情報を得れなかった私ですが、母に無理を言って当時では当たり前ではなかったビデオレコーダーを購入してもらいました。

そこからは友人からや市販されているビデオでサッカーの映像を見られるようになって、もちろんマラドーナの映像を入手して何回も繰り返して見まくりました。

まず、通信販売で購入したのはアルゼンチンvsイングランドだったのは雑誌でマラドーナがスーパーゴールを決めていたのを知っていたからです。

後にアルゼンチンvs韓国、イタリア、ベルギー戦も入手しましたが同時に見たブラジルvsフランスの試合が歴史的な好ゲームだったと感じるようになったのはずいぶん後の話です。

ここからは1986メキシコ・ワールドカップマラドーナのプレーについて話を進めたいと思います。

アルゼンチンvs韓国

4年前のスペイン大会は21歳で初めて出場したワールドカップでアルゼンチンの10番を背負って、ファールをいとわない激しいチャージを受けて苦戦を強いられたマラドーナは2次リーグ最終のブラジル戦でラフプレーによる退場処分を受けてチームも敗退する苦い経験をしていました。

2回目の出場で初戦の韓国戦では4年前とは別人のように一流のサッカー選手になっていました。

キックオフ早々から前回大会同様にラフプレーでマラドーナを止めようとする韓国DFのタックルに顔を歪めるシーンが連発されます。

前回の様に感情を剥き出しにすることなく耐えるマラドーナは自身が受けたファールのFKからの流れで先制点をアシストします。

自身が蹴ったボールの跳ね返りをヘディングでバルダーノに繋いで先制点に繋げました。

続く2点目もマラドーナのFKからルジェリーがヘディングで決めて2-0、後半開始早々にはGKからのロングキックのこぼれ球を拾って右サイドを突破、珍しい右足でセンターリングを上げてバルダーノのゴールを再び演出して3アシストと幸先の良いスタートを切りました。

何度もドリブルで相手DFを突破するマラドーナのプレーは圧巻で浮き球のコントロールではボールの上がり際で相手のタイミングを完全にずらしてファールを受けたプレーや、踵でタッチして後方からのボールを自身の頭上越しにコントロールしたプレーなどマラドーナの技術が凝縮されて場面を何度も魅せてくれました。

 

アルゼンチンvsイタリア 

前回大会のチャンピオン相手に引き分けた試合はマラドーナのゴールによって同点に追いつく試合展開でした。

自陣ペナルティーエリアないで不用意なトラップからなんでもないプレーで相手PKにより失点してしまいます。

当時イタリアリーグ(セリエA)でプレーしていたマラドーナナポリのチームメイト、バニにマンマークを受けていましたがトラップをしながら反転してバニを交わして次々と相手選手の間を縫ってドリブル突破するプレーをきっかけに世界チャンピオンを翻弄します。

ゴールシーンはバルバーノとの大きなワンツーからの浮き球を名DFシレア(ユベントス)に寄せられますが、DFもGKのガリACミラン)もバウンドしてボールが上昇する頂点で軽いタッチでコントロールしたシュートを見送るだけで反応することはできませんでした。

通常ボレーシュートはボールの軌道が安定する落ち際のボールを強くインパクトするのが一般的な技術ですが、マラドーナは相手の予測さえ上回ってしまえばボールのスピードがゆるくてもタイミングをずらされて相手は反応できない事を知っていて、あえてあのタイミングで、しかもまだ角度が広いあの位置でジャンプしながら軽くシュートを流しこむ圧巻のテクニックでゴールを決めて魅せました。

後半には相手DF2人の間を素早いタッチで一気に突破するスーパープレーも披露してワールドカップの大舞台で持ってる力を十分に発揮している印象を受けました。

 アルゼンチンvsブルガリア 

フルタイムで試合を観戦する事は未だに出来ていませんが、ハイライト映像では左サイドを突破したマラドーナからのセンターリングを中央でブルチャガがヘディングで合わせてアシストを記録、相手のスライディングタックルをボールを浮かせてジャンプしながら交わしたり、突っ込んでくる相手の足が届かないスペースに先にボールを転がしてDFと入れ替わって突破したりと、この試合のマラドーナも好調だったのではないかと予測しています。

決勝トーナメント1回戦アルゼンチンvs宿敵ウルグアイ

この試合もハイライト映像でしか見たことがありませんが、1-0で勝利したパスクリのゴールの起点となるテクニックと駆け引きがきっかけとなって勝利に導いたと言えるでしょう。

相手DFに良い間合いで詰められたマラドーナは左足で大きくボールをまたいで相手DFの間合いを崩します。

身体の向きを横向きに変えたマラドーナの横をバチスタが走り抜けます。体の向きのまま横パスを出せばバチスタにはすぐにプレッシャーが掛かってしまうことを感じ取ったマラドーナインサイドでボールに触れた状態でいかのも横パスを出す体制でバチスタが追い越すギリギリまでタメを創ってからバチスタが走る前方のスペースでボールをなめるようにして絶妙な縦パスに切り替えました。

これによって前方のスペースへノープレッシャーで侵入したバチスタからのパスは相手DFにカットされてしまいますが、こぼれ球をパスクリが直接シュートしてゴールを決める事に成功します。

他の場面では右サイドを突破したマラドーナペナルティエリアに侵入して相手DFに角度が無い位置で寄せられますが、得意の中に行くと見せかけて縦に突破するドリブルで相手を抜き去りGKの寄せより一歩早く中央へパスを送りすが味方と合わずに決定機を逃す場面もありました。

GKがいない相手ゴール前で相手DFとこぼれ球を競り合ったマラドーナは相手のクリアーの一瞬先に足の裏でボールを抑えてゴールを決めましたが、ノーゴールの判定。

足の裏を使っていますが相手に向かってのプレーではなくマラドーナのプレー自体はファールではないと思われます。

このゴールが決まっていればマラドーナは大会6ゴールでリネカーイングランド)と並んで大会得点王になる可能性もあったので残念な判定でした。

 

 準々決勝アルゼンチンvsイングランド

とうとう歴史的な試合です。フォークランド紛争で多くの死者を出したアルゼンチンはサッカーでは絶対に負けることが出来ないと国民からも大きなプレッシャーを受けていたと思われます。

こういった類のプレッシャーにめっぽう強い(批判的なプレッシャーには悪い方向へ影響を受ける場合がある)マラドーナはチームの先頭に立って戦う事に誇りを持って強い意志で臨んだと予想されます。

試合序盤に飛び出したGKプンピードが転んでしまい危ない場面がありましたが、序盤は拮抗した状態でした。

状況が一転したのは中盤右サイドぎみの位置で味方からの浮き球のパスをマラドーナがスピードに乗りながら胸でコントロールした場面からです。

胸トラップしたボールの落ち際に相手が外側から寄せると左足で相手の背後側にタッチして一人目を交わします。

オープンスペースでスピードアップしながらドリブルで中央方向に前進しながら、内側から寄せてくる二人目をボールタッチと進行方向、スピードの変化で内側に交わすと相手はたまらずファールでマラドーナを止めました。

心身ともに充実した状態のマラドーナの脅威にイングランド代表は焦りを感じたのでしょう、解説の岡野俊一郎さんが言うように以降のイングランドはアルゼンチンの攻撃にギリギリで対応する場面が続出していきます。

ペナルティーエリア直前のFKからマラドーナが際どいシュートを放つ場面では、相手GKシルトンにキックのタイミングを計らせないようにバックスイングを取らずにインサイドで回転を掛けながらコンパクトな振りでゴールを狙いました。

後半に入り5分頃でしょうか、中盤中央でパスを受けて前を向いたマラドーナはタッチのリズムの変化で相手を交わしスピードに乗って相手の間を割って前進していきます。

前半の同じような場面では相手のファールによって止められてDFの胸に頭を打ち付けてFKになる場面もありましたが、今回は右側のバルダーノに向かってパスを出しました。

コントロールミスをしたバルダーノのボールをDFがクリアしますが、パスを出してゴール方向へリターンを受けようと走り込んだマラドーナとGKシルトンの中間に中途半端なクリアとなってしまいます。

少し遅れて飛び出したシルトンがパンチングすると思われた瞬間、マラドーナは間に合わない事を感じていたんでしょう、背中向きにジャンプして左手を頭の上に回して一瞬早く手でボールをゴールに流し込みました。

何食わぬ顔でコーナー方向へゴールを喜ぶふりをするマラドーナは何度も主審を振り返ってゴールが認められるか確認しているのが分かります。

この数分後でした、自陣からボールを繋ぐアルゼンチン、エンリケが相手のプレッシャーを逃れるように後方にトラップしてから再び前方を向きます。

この場面から私のVHSビデオテープはひどく画像が乱れるようになっています。

エンリケから縦パスを受けたマラドーナエンリケ同様に最初のコントロールを相手プレッシャーを交わすように後方へコントロールします。

回転しながら足裏で前方を向くと外側のスペースへボールを運びます。

この時点でマラドーナの周辺には3人のイングランド選手がいますが中盤のサイドだったことが原因なのか、寄せが甘くマラドーナをスピードに乗らせてしまいます。

まずいと思ったのでしょうセンターDFのブッチャーがサイドに出て対応しようとしますが、ボールタッチとスピードの変化、アウトサイドで角度を変えて完全に逆を取って突破します。

中央からカバーリングに入ったフェンウィックはさらに内側へは行かれたくなかったのでしょう、マラドーナの左アウトサイドのタッチで足を止められてしまいました、すかさずマラドーナインサイドで縦方向に持ち出してエリア内に侵入します。

ブッチャーを交わしてルックアップし、スピードに乗った状態のマラドーナはフェンウックの動きは完全に見透かしていて、相手が対応できない間合いとタイミングの仕掛けは幼少期からプレーして体に染みついているプレーだったと思われます。

左利きのマラドーナが右側で縦に突破した状況をGKシルトンはとっさに前に寄せてシュートコースを狭める選択をしたと思われます。

マラドーナはドリブルのタッチかシュートか分からない微妙なタッチでインサイドでシュートフェイントを入れながらシルトンを縦に交わします、サイドで突破を許したブッチャーが必死に外側から戻ってスライディングタックルを試みますが、マラドーナは体を入れるような体制をとって左足のトゥキックでボールをゴールに流し込みました。

ワールドカップ史上最高のゴールと称賛される場面が完成された瞬間でした。

後日談になりますが、この時バルダーノマラドーナからパスを受ける為に中央を並走していました、つぎつぎと相手を突破するマラドーナに選択肢を増やす狙いだったそうですが、中盤からゴール前まで相手のディフェンスをかいくぐって一人でボールを操っていては自身の動きは見えていないだろうと思いながら走っていたそうです。

試合後にバルダーノマラドーナから「パスを出さくて悪かったな」と言われて、あんな状況でも周囲の状況を把握できているマラドーナの凄さを改めて感じたそうです。

2-0でリードしたアルゼンチンはペースを抑えてマラドーナもほとんどゲームに参加しない状態が続き、リネカーに大会得点王を決めるシュートを決められてしまいます。

直後のキックオフからスイッチを入れ直したマラドーナは一人で相手二人の間をルーレットで突破して交代出場のタピアとの連携で相手に一度も触らせる事無くポスト直撃のシュートを演出して魅せました。

 

 

 準決勝アルゼンチンvsベルギー

安定感あるベルギー相手にもマラドーナは止まりません。

中盤からドリブルで持ち上がりファールを受けたり、ジャンプしながら両足の間にボールを通す状況からインサイドで体の向きとは90度違う方向にパスをして相手のディフェンスを無力化させたりと前半からエンジン全開です。

浮き球のボールをミドルレンジから強烈なシュートでバー直撃のシュートを打った場面では、こぼれ球を押し込んだバルダーノのゴールはハンドで認められませんでしたが名GKパフを翻弄するプレーを連発しました。

ブルチャガのボールキープ時に中央から斜め外側に向けてランニングするマラドーナに絶妙なパスが通ります。

相手DFもしっかり内側から寄せて、GKパフも飛び出してシュートコースを完全に消したと思われた場面でも左足アウトサイドの絶妙なタッチで体の向きとは90度違う方向へワンタッチでGKの頭上を越える芸術的なループシュートを決めてしまいます。

2点目も圧巻のゴールでマラドーナの凄さが凝縮された場面でした。

中盤中央でパスを受けて前を向いたマラドーナイングランド戦の神の手ゴールの直前のドリブルのようにリズムの変化で中央突破を試みます。

完全にスピードに乗る前にドリブルのコースを限定させたかったのでしょう、名DFゲレツが斜め前方に出てプレッシャをかけようとしますが、マラドーナの仕掛けた罠にはまってしまいます。

ゲレツの間合いに入る直前にアウトサイドで方向を変えて得意の左足でシュートできるように左側にスピードを上げて逆をとると、遅れて追走するゲレツとGKパフとの駆け引きの為に一度外側にタッチします。

すかさずドリブルのタッチより早いタイミングで左足シュートに持ち込み相手には対応不可能な完ぺきなゴールを決めてくれました。

ハットトリックを狙う試合終盤にも角度が無い場所から同じようなタイミングでグラウンダーのシュートを打ちましたが、ボールはゴール前を横切って反対サイドに外れてしまった場面も同じカラクリのテクニックだと分析します。

ベルギーの若き天才シーフォの寄せにも軽くシャペウ(相手の頭上にボールを通して交わすテクニック)でファールを誘うなど余裕の戦いぶりで決勝に進出しました。

 

 

 決勝アルゼンチンvs西ドイツ

この試合、私はワールドカップも決勝もマラドーナも知らずに、めずらしくサッカーをテレビで放送している場面に偶然にも遭遇して観たのを覚えています。

当時はサッカーがどんなスポーツか理解していなかったので球蹴りとしてでしかゲームを楽しめていませんでしたが、現在ではこの決勝戦も分析しながら楽しく観戦できるようになりました。

1974年のワールドカップ優勝の立役者で伝説の選手でもある西ドイツのベッケンバウアー監督は中盤のユーティリテープレーヤーであるマテウスマラドーナにマンツーマンでマークを付ける戦術を採用しました。

勝戦の緊張感からかマラドーナはめったにミスることないボールコントロールで最初のファーストタッチタッチラインの外に出してしまう珍しい場面が開始そうそうにありました。

絶好調のマラドーナ擁するアルゼンチンは自信満々にプレーしているように感じます。

右サイドの高い位置でマラドーナが前方へヒールキックでパスを出した直後にアフターでマテウスからチャージを受けます。

パスを受けたクシューフォも後方からファールを受けてさすがにブラジル人の主審も笛を吹きます。

余談ですがこの決勝戦の主審とは後にサッカー大国でプレーしていた私たちチームのトレーニングマッチのレフェリングをしていただいた思い出がある審判です。

右サイドからのフリーキックのキッカーはブルチャガです。

エリア内に上げられたクロスに名GKシューマッヒャーが飛び出しますが、なんとこの普通のクロスをかぶってしまいブラウンがヘディングでゴールを決めます。

この時のゴールパフォーマンスで膝をついて滑る場面を小学生だった私は非常に印象的な場面として記憶しています。

アルゼンチンの2点目は中盤でパスを受けたマラドーナが前方のエンリケに短い繋ぎのパスを出します。

西ドイツはマラドーナを止める事に集中し過ぎていて対応が後手に廻り、バルダーノの半円を描くようなパスを引き出すランニングに対応できずにそのままゴール前まで持ち込まれて1対1をバルダーノが確実に決めます。

後半に入りマラドーナマンマークマテウスからフェルスターに変えて攻撃的な姿勢を見せた西ドイツは過去の歴史を象徴するかのようにゲルマン魂を発揮したのかコーナーキックからルンメニゲ、フェラーと立て続けに得点して2-2に持ち込む驚異の粘りを見せます。

2-0から同点に追いつかれたアルゼンチンはさすがに不安になったのか自信が消えてしまったように感じます。

拮抗して展開の中、変化を創ったのはやっぱりマラドーナでした。

味方からの浮き球のボールを胸トラップであえて高く跳ね上げて、周囲の情報を確認しながら体の方向を変えます。

マラドーナの能力を知るブルチャガが西ドイツ選手がマラドーナに釘図けになっている事を利用してDFの背後を狙って走り出します。

パスを受けた時点から体の向きを逆方向に向けたマラドーナからショートバウンドでソフトタッチのパスが体の向きとは反対のブルチャガのランニングに合わせた絶妙なスルーパスが放たれます。

この時の西ドイツ選手の反応を分析すると、まったく予想打にしなかったタイミングと方向へパスが出されて誰一人として反応できていません。

マラドーナの唯一無二の才能が世界の頂点に輝くに相応しいと世界中に証明したパスをブルチャガが紙一重のタイミングでゴールに流し込み3-2となりました。

リードした後はアルゼンチンもリラックスしたのか安定感を取り戻して、マラドーナはサッカーを心底楽しむかのようなプレーであわやPKの場面も創出しました。

2人のDFの合間を縫ってエリア内に侵入してGKシューマッヒャーの捨て身のタックルより一瞬早くトゥでボールを持ち出してタックルをもろに受けましたがレフェリーは試合を演出したのか笛を吹かずに、勝利を確認したマラドーナも笑顔でシューマッヒャーと握手を交わしていたのが印象的です。

上記以外の場面でも私のサッカー感に影響を及ぼしたプレーを魅せてくれました。

後半になってフェルスターにマークが変わって味方からスローインでパスを受ける場面です。

腰を低く下して相手のチャージをブロックする体制でゴールとは反対方向を向いた半身でパスを受けます。

マークするフェルスターはマラドーナがボールに触れる瞬間は体の陰になって直視できない状況だと思います。

左足ヒールぎみのアウトサイドでフェルスターの頭越しにボールをコントロール、シャペウで相手を交わしてシュートを放ちました。

マーカーのフェルスターはワールドカップ決勝の大舞台でまさかのプレーで翻弄されて

心理的のも非常に苦しい状況に追いやられたと想像しています。

 

数々の魅力あふれるプレーでワールドカップを制したマラドーナですが、後にも先にも一人の選手がゲームやチームに及ぼす影響力では1986年ワールドカップ、アルゼンチン代表と対戦相手にとって最も偉大な選手だったと感じずにはいられません。

サッカーの歴史で最も輝く物語に世界中の人々が酔いしれた瞬間だったのではないでしょうか?