ボールタッチ
前半戦の勢いに陰りが出ている首位アトレチコ・マドリーとCL準決勝進出を決めましたが、離脱選手が続出してベストメンバーを組めない2位レアル・マドリードを追いかける3位バルセロナと日本人随一のタレント久保建英選手が所属するヘタフェが対戦したラ・リ…
アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの郊外の街ラヌースで1960年10月30日に生を受けた少年は5番目にして待望の最初の男の子でした。 父の名はディエゴ、母の名はダルマ、貧しい家庭環境であったものの1歳の誕生日には大人が使用する革製でできた本物のサッカ…
マラドーナ 1986メキシコ・ワールドカップ優勝 私が生まれ育った地域は野球が盛んで、町会ごとに少年野球のチームが存在していました。 父は幼少期には野球を、高校時代はテニス部に所属していたようですが、私が物心つく時期には会社の野球部で選手兼監督を…
レンタル移籍でビジャレアルに加入後、公式戦7試合目で初のスタメン起用されたEL初戦のシバス(トルコ)戦で結果を残し活躍した久保建英選手のプレーについて語りたいと思います。 前半インサイドMF 先制ゴール!アシスト! ついに久保建英選手が結果を残し…
AIはまたしても、やってくれました。 私のサッカーへのインスピレーションの一部に成りつつあります。 今回はスコットランドの英雄、ストラッカン氏(選手、監督として)も惚れ込む日本サッカーの至宝の動画です。 マリノスのジュニアユースまでは順調なサッ…
週明けはニュースやネットで週末に行われたサッカーの試合をチェックするのが習慣化しており、今日も久保建英選手のシーズン最終戦や、やべっちFCを見ていました。 ユーチューブ の動画を見ようとページを開くと一番最初にこの動画が現れました。 恐るべしAI…
今から7年ほど昔、息子が所属するチームが他県のチームの招待大会に行った時の話です。 河川敷にある天然芝のグランドで小学生のサイズが4面ほどある会場での大会でした。一つ年上の選手の人数が少ないことから息子の代の選手も上のカテゴリーで試合に臨みま…
若くしてサッカーに夢中になった私は片親である母親に無理を言って サッカーの大国に留学させてもらいました。 お母さん 本当にありがとう 当時、サッカーで海外に留学するなど夢のまた夢で(日本にJリーグが発足する前) 誰も知りえない未知の領域が多すぎ…